ハードアクション超大作、マンガ『ワイルド7』の作者! 横浜出身の漫画界の巨匠・望月三起也先生に直撃取材!
 ココがキニナル!
ココがキニナル!
漫画家望月先生は横浜市出身。横浜を舞台にした作品も書かれています。「ワイルド7」の実写版が公開されたのでインタビューお願い!/喫茶ボンのイコがスナック「ボンメイト」はママ?(朱鷺の香りさん、スさん)
はまれぽ調査結果!
現在も創作意欲旺盛に『ワイルド7』を執筆中。作品の舞台が横浜ということはなく、映画『WILD7』についてはノーコメント。
ライター:細野 誠治
	漫画界の大巨匠にお会いする
	
	皆さま、ご存知でしょうか? 漫画界の重鎮、望月三起也先生。
	今から40年以上前、まだ漫画が「子どものもの」と誤解されていた時代。読者に媚びず、子どもはもとより、青年や大人も充分に楽しめる“カッコいい”“ハードなアクション”作品を世に送り出し続けている作家さんです(現在も現役!)。
	
	元々、漫画に携わる身である筆者としては、まさに雲の上のお方。緊張と興奮と、怖さと嬉しさが入り交じった今回のキニナル。身に余る光栄であります、はい。
	
	 
	
	代表作「ワイルド7」の続編「W7(ダブル7)」 (C)望月三起也
	 
	横浜にお住まいの望月先生。てっきりインタビューはご自宅で・・・と思っていたら場所は東京・水道橋。
	ご多忙とのことで、出版社での打ち合わせの合間にお時間を作っていただいた。
	
	 
	
	出版社が集まる神保町で取材
	 
	
	大手電子書籍会社の株式会社イーブックイニシアティブジャパン
	 
	こちらの会議室をお借りしてインタビュー開始!
	
	 
	
	先生登場。「まぁ、気楽に行きましょうよ」と。無理です!
	 
	
	
	近所の親分? 生い立ちからデビュー
	
	まずは年齢を聞くと「永遠の30歳」とおっしゃる先生。
	30歳を境に、歳を取ることを辞めたそうです(俺より年下!)。
	
	生まれも育ちも横浜だという先生。実家は四代続く宮大工の家に5人兄弟の長男として産まれたそうだ。
	 具体的に横浜のどの辺なんですか?
	「横浜駅の前だよ、西口の。真ん前。住所でいうと、鶴屋町3丁目」
	
	 
	
	横浜の真ん中、生粋の浜っ子
	 
	 ―どんな子どもだったんです?
	「近所のガキ大将を、やってたね。家の前に紙芝居屋が来て、俺だけ窓から見れたの。で、俺が周りの子どもらの分の紙芝居代がわりの飴を払ってやってたんだ」
	
	近所のガキ大将が漫画家になっちゃうとは・・・。
	小さいころから絵が好きで描いていたという先生。子どものころの絵に関して、面白いエピソードがある。
	「5~6歳の時分、一人で留守番してるでしょ? で、訪ねてきた人の似顔絵を描いてたんだよ。それを親に見せるでしょ、すぐに誰が訪ねて来たか分かったってさ」
	
	5~6歳で! 家族は一度も間違えたことがなかったそうだ。天才的な絵の才能じゃないか?
	
	「俺、中学のころには“漫画家になる”って決めてたから」と先生。
	中学のころ、近所の絵画教室に通い本格的な絵の勉強を始めたとか。
	「裸婦のデッサンをね、描いていたんですよ。当時は中学生でしょ? 恥ずかしくて顏を上げられなかった。モデルの、つま先しか見れなかったの。でもその内に慣れてきて、スラスラ~っと描けるようになった(笑)」
	
	思春期に、まぁ・・・。でもその経験が思春期にあったからこそ、描く女性に色っぽさを醸す結果になったんじゃないかな。
	
	 
	
	話聞いてて痛快です
	 
	高校は建築科に進学。これは宮大工だった父親に通りを良くするためとか。
	本心は「絵の基本を勉強にするのに調度いい」から。
	
	そして建築会社に就職・・・するも1年で退社。
	「上司が“タバコ買って来い!”って言うからさ、“アンタの子分じゃない!”って言って辞めて」
	
	 ―いや、ある意味、子分なんだと思いますけど・・・。
	「俺、サラリーマン向いてないなって。ワガママだから無理だわって」
	
	 
	
	もし辞めていなかったらワイルド7はなかった
	 
	会社を辞めてすぐに漫画を描き、さまざまな出版社に持ち込みを開始。漫画のアシスタントで生活費を稼ぎつつ、仲良くなった編集者に「じゃあ描いてみれば・・・」と言われ講談社『少年クラブ』に『特ダネを追え!』でデビューをする。
	先生が20歳のとき。会社を辞めて2年が経過していた。
	
	「親兄弟はホッとしたみたい。一応、人に評価されたってことだし。家族が応援してくれてたんだけど親父は反対だったね。宮大工の技を伝えたかったみたい。分かるんだけどさ・・・」
	
	そしてその2年後の1962(昭和37)年『少年画報』誌上『ムサシ』にて連載デビューを果たす。
	
	
	
	どうしても描きたかったもの、ワイルド7
	
	『ムサシ』連載デビュー後、さまざまな漫画タイトルを執筆後、1969(昭和44)年、ついに不朽の名作『ワイルド7』が連載スタートする。
	
	 
	
	『W7(ダブル7)』主人公・飛葉 (C)望月三起也
	 
	“さまざまな生い立ちを持つ元・犯罪者たちを超法規的に警察官として採用し、法で裁くことの出来ない悪党を退治する男たち”を描いたハードアクション超大作。それが『ワイルド7』。
	
	―誕生のきっかけは?
	「あのころの漫画って主人公がみんなイイ子なわけ。面白くない(笑)。世の中には“誤解されてる奴”が多いんだから、そういう奴を描きたかった。誤解されてるけど、誰よりも熱い正義を持った者を、ね」
	
	 
	
	世の中には、誤解されてる奴が多いんだよ・・・
	 
	「ただ連載前から編集部では反対意見が多かった。編集長だけが、やってみろって」
	―結果、どうでした?
	「アンケートは真っ二つ! でも2ヶ月もしないウチに評価が100%になった」
	―すげぇ!
	
	ハリウッド映画に負けないハードなアクションは、既成の漫画に辟易(へきえき)としていた読者に熱狂的に支持をされた。2ヶ月待たず当時連載していた少年画報社の『週刊少年キング』の看板漫画に登りつめたという。
	そして熱狂的な支持は、今も変わらない。
	
	 
	
	アクション漫画の金字塔『ワイルド7』(eBookJapan電子書籍版)(C)望月三起也
	 
	『ワイルド7』は何度もドラマやアニメ化された。そして2011(平成23)年には『WILD7』として実写映画化もされた。
	 映画化についてのご感想は?
	「ノーコメントでお願いしますっ!」
	 分かりましたっ!
	
	 
	
	 






