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元教師のモーテル王が建てた!? 創業昭和43年、保土ケ谷区にある老舗のモーテル「ニュー京浜」に突撃!

ココがキニナル!

今井町に30年も前からある老舗ラブホテル「ニュー京浜」、中はどんな感じ?火事で結構な事故があったような。付近のラブホテル群も、交通の便が良くないのになぜ密集しているの?(ta-TAさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

「ニュー京浜」は「モテル京浜」として1968年に創業し、大繁盛した。それにあやかろうといくつかのホテルがオープンした模様。

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ライター:松宮 史佳

横浜新道のランドマーク的存在「モテル京浜」が誕生



その後、1959(昭和34)年10月に有料道路横浜新道の保土ケ谷-戸塚間が開通。「横浜新道は吉田茂元首相が開通した道路なのよ」とお母さん。吉田氏は自宅がある大磯から東京へ向かう際、戸塚の踏切が開かず、頭にきて「横浜新道をつくった」という逸話も。なので横浜新道は「ワンマン道路」と呼ばれていたらしい。

1963(昭和38)年、日本初の高速道路「名神高速道路」が開通。

 


1963(昭和38)年7月15日、京都南インターチェンジ上で行われた開通式の様子『日本大百科全書』


孝司さんが関東に進出したのは1965(昭和40)年。日本式のモーテルは1967(昭和42)年に1000軒を突破した。1968(昭和43)年、孝司さんは現在地に「モテル京浜」をオープン。「モテル京浜」は利用者とスタッフが顔を合わさないシステムを導入。
 


車で建物内へ入り・・・
 

1台専用の駐車場へ
 

駐車場から専用のドアを通り、部屋まで行くことができる


「モテル京浜」は「モテル北陸」をも上回り、大繁盛した。当時の平均回転数は年間を通して1日あたり6.8回。土日は10回転ほど。「常に車が5台から10台は並んでいるような状況」という、すさまじい繁盛ぶりだったようだ(『夢空間ファッションホテル 名商・巨匠の物語(久保田和夫)』より)。
 


懐かしい「モテル京浜」の外観〈参考文献〉『夢空間ファッションホテル 名商・巨匠の物語(久保田和夫)』『性愛空間の文化史(金益見)』


また、漫画家の故・赤塚不二夫氏は当時の様子を「横浜新道にサンゼンと輝く『モテル京浜』に感動した」と語っている(『SONO・SONO(滝大作・赤塚不二夫・タモリ・高平哲郎著)』)。赤塚氏が同モーテルに到着したところ、「白ナンバーがズラッと並び、空室待ち(赤塚氏は6番目くらい)をしていた」らしい。また、「ラブホテルとモーテルの研究」の著者・金さんがテリー伊藤氏と対談した際、「モテル京浜」といえば「当時の若者のあこがれの場だった」と述べられている。

1972(昭和47)年、モーテルの数は6000軒まで増加。孝司さんのシステムを取り入れた経営者がカップル用のモーテルを次々とオープン。インターチェンジ沿いには多数の日本式モーテルがつくられた。2003(平成15)年に残念ながら孝司さんが逝去し、光さんが事業を受け継いだ。



横浜新道のシンボル



現在、「ニュー京浜」の周囲には何軒くらいホテルがあるのか? お母さんに伺うと「うちを入れて4軒よ」とのこと。理由を尋ねたところ「想像だけど、うちが大繁盛していたから(あやかろうと)建ったんじゃないかしら」と答えてくれる。
 


わずか数十メートルの所にホテルが4軒立ち並んでいる


「モテル京浜」は1984(昭和59)年に「ニュー京浜」となってからも横浜新道のランドマーク的存在として存在し続けてきた。「(横浜新道の)上り・下りどちらからもよく見えるのよね」とお母さん。

1984(昭和59)年、現在の建物になってから幾度も改装を重ねてきた「ニュー京浜」。改装時に営業を休止していたところ、「ニュー京浜の看板がついていなかったから降りる所を間違えた」「ネオンはつけておいてもらわないと困る」と言われたこともあるとか! 

「ニュー京浜」=「横浜新道のシンボル」というのがドライバーに浸透しているのかわかるエピソードだ。

 


「ニュー京浜」の看板は「横浜新道」の目印となる存在なのだ!


「ニュー京浜」の料金について伺う。「休憩や宿泊に土日祝日の料金はない」。つまり、365日いつ泊まっても料金は同じなのだ。太っ腹すぎる。
 


全室365日同一料金というのがうれしい


午後6時から翌日の午前10時までにチェックインした場合、2時間の休憩は5800円(税込)。なんと、しかも税込! 時間に関係なく「いつでも6時間7900円(税込)」というのもすごい。10時間の場合は休憩・宿泊ともに「1万300円(税込)」と格安。午後8時から午前0時に宿泊すると「14時間まで1万300円(税込)」。一番人気が高いのは「7900円コース」らしい。

客層は20代から70代、80代と幅広い。長年の常連客も多いという。「近年は使い方もさまざまです」と奥様。ベッドの乱れがないことから「添い寝やお茶を飲むだけの方もいるのでは」とのこと。「お客さんのニーズも多様化しているんだな」とあらめて知る。

多くの人々に慣れ親しまれてきた「ニュー京浜」。しかし、2008(平成20)年1月4日には火災が発生してしまう。



火災の真相



ここで火災について切り出す。答えにくい所もあると思うが、光さんはすべて率直に答えてくれる。
 


不幸にも2名の方が亡くなってしまった『朝日新聞 夕刊2008<平成16>年1月5日』


「モテル京浜」時代から“お客さんが安心して宿泊できるように”との想いが受け継がれてきた。現在の建物になった1984(昭和59)年から何度も改装を重ねてきた「ニュー京浜」。改装を行う度に「耐火ボードが追加された」という。
 


消防局の方が「ホテルに泊まると避難経路を確認する」と言っていた取材を思い出す


通常、壁紙を交換する時は、古いものをはがして新しい壁紙を張り替える。だが、「壁紙をはがすとデコボコになってしまうため、耐火ボードごと(追加して)重ねてしまうんです」と光さん。

通常、法律では耐火ボードを1枚入れるのが決まり。だが、耐火ボードが3枚入っている所もあった。そのため、2008(平成20)年の火災時に出火元の部屋は全焼してしまったが、「両隣の部屋はまったく焼けなかった」そうだ。出火元の部屋は激しく燃えてしまったため、出火原因は不明。ただ、「ベッド付近の足元から出火した」のはわかっているとのこと。

火災発生から数ヶ月後。セコム関連会社のスタッフが人為的な配線ミスを行い、点検を行ったため「センターに火災情報が届かなかった」と判明した。
 


『朝日新聞 朝刊2008<平成20>年3月16日』


「耐火ボードが複数枚壁に入っていたから両隣の部屋には被害がなかったんですよ」と消防署員の方から言われたそうだ。

ここで「火災についての対策」について伺う。以前、「防火基準適合(審査の基準を満たしたホテルや旅館に交付されるもの)」を取得するのは「強制」だった。しかし、10年ほど前に「防火基準適合」の取得は任意となり、実質廃止のような状態に。

そんな中、2012(平成24)年5月22日に広島県福山市のラブホテルで火災が発生。以来、「防火基準適合」の強制取得を復活させようという動きがあるようだ。
 


2年前の痛ましい火災を覚えている方も多いだろう『朝日新聞 朝刊2012<平成24>年5月14日』
 

2014年(平成26)年10月に「防火基準適合」を取得


現在、「防火基準適合」は消防法だけではなく、建築法を含めてその建物が基準を満たしているか判断される。モーテルやラブホテルで「防火基準適合」を満たしていると認められているのは、「ニュー京浜」を含め、「横浜市内でわずか2軒」という事実を初めて知る。

ラブホテルは違法建築のところが多いらしい。竣工時は違法建築でなくとも、オーナーが変わったり改築を行ったりすると、「見栄えがよくない」と避難経路を塞いでしまうことも多いそうだ。

1968(昭和43)年以来、「モテル京浜」時代を含め、46年間営業を続けてきた「ニュー京浜」。これだけ続いているモーテルもめずらしい。長く続けられる秘訣を伺うと、「まじめに営業してきた。それだけです」と光さんが答えてくれた。

ここで「関西のデザイナーが設計した」という“全室異なる部屋”を見せていただくことに!

 
 

いよいよキニナル室内に潜入、一体どんな部屋になっているのか!?≫